錦鯉の誕生・歴史
日本が世界に誇る観賞魚の王様「錦鯉」。その誕生は、今から200年以上前の江戸時代後期にさかのぼります。現在の新潟県長岡市山古志地域と小千谷市東部一帯は、かつて二十村郷(にじゅうむらごう)と呼ばれ、冬は豪雪に閉ざされる、まさに陸の孤島ともいえる地域でした。そのような背景から当地では、冬場の食料を確保するため真鯉の養殖が盛んに行われていました。この中から、突然変異で色や模様のついた鯉が出現したのが、錦鯉のはじまりとされています。その後、村人たちは試行錯誤を重ね、様々な品種を誕生させました。
錦鯉が全国に知られる大きな転機となったのが、1914年(大正3)に東京・上野公園で開催された東京大正博覧会です。開催期間4か月で、およそ750万人もの入場者を数えた一大イベントに、錦鯉(当時の呼び名は「変鯉(かわりごい)」)20数匹を出品し、銀牌を受賞。そればかりか、当時の皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)が錦鯉を大変気に入られ、皇居に献納したというエピソードもあります。
これを期に、錦鯉はその価値を飛躍的に高め、芸術品としての地位を確立。2022年には、錦鯉に関する主な用語や、基本となる21の品種の名称と定義を、日本農林規格(JAS)として規定。さらに輸出の重点品目に加えられるなど、ジャパンブランドの一翼を担うまでになりました。生産者の熱意と努力によって、今では150を超える品種が存在し、国内のみならず世界中の人々に愛されています。
東京大正博覧会出品鯉の「鯉魚模様見取図」
(1914年)
日本橋髙島屋屋上で開催された錦鯉観賞即売会(1930年代)
屋内池が普及していなかった時代の冬越し(1970年代)